Tuesday, February 17, 2009

クリントン氏ジャカルタ訪問

クリントン国務長官がジャカルタを訪問するため、色々な場所の警備が厳しくなっている。
大統領官邸など市の中央部に通じる幹線道路には警察官が日ごろより多く配置されている。

アメリカにとってイスラム圏との関係を修復することは、安全保障上の喫緊の課題となっている。オバマ大統領にとっても、幼少の時過ごしたインドネシアとの関係をこの機会に殊更示すことによって、同国を通じて最大のモスレムに対して「変化」を売り込むという考えなのだろう。世界最大のイスラム教徒人口を持つインドネシアでも、当然アメリカ政府に対する評判は極めて悪い。2月16日にも、反米主義を標榜するイスラムグループが女性を動員してジャカルタのアメリカ大使館の前で大規模なデモを開催したばかり。クリントン長官の今回のアジアへの来訪は、アメリカの商業的・経済的な力や映像・音楽などの文化に加えて、「女性」「多様性」「相手の文化への尊敬」「寛容さ」といった、彼女の標榜する「ソフト・パワー」を使った外交手腕のデモンストレーションとなると思い、非常に注目している。






Monday, January 26, 2009

V字回復を狙う=危機を糧にする経営

需要冷え込みリストラ“泥沼化” 上場企業3月決算 - MSN産経ニュース
 「東証1部上場企業の平成21年3月期決算は3割超の大幅な経常減益となる見通し」という記事が、多くの紙面をにぎわしているが、これは裏読みをする必要があると思う。

 この際、一気に贅肉をそぎ落とし、不採算事業を切り落とし、大幅な赤字を吐き出して処理をする。景気悪化であるがゆえに、単年度の業績悪化、あるいは赤字に対する責任をとらなくて済む、と経営者は考えているはず。2009年を大底にして「あえて」悪い業績=危機を強調することによって、その状況に対処するための求心力を高める。そして、2010年には、より贅肉をそぎ落とした(リーンな)経営をすることによって、(しかも、長年積み上げた内部留保と、政府の景気振興策を賢く利用しながら)、V字回復を果たす。これが今風の経営者の考えているシナリオだろう。

 オバマ政権の発足とともに、ペンディングになっていたカリフォルニアおよび東部13州における、自動車の排ガス規制が実施されることになりそうだ。(オバマ米大統領、排ガス規制強化の方針示す - IBTimes(アイビータイムズ) - 世界の最新ビジネスニュース)
 オバマ米大統領は26日、ホワイトハウスで演説し、温室効果ガスの排出規制強化を求める発言を行った。これは、2007年にカリフォルニア州が可決した新たな排ガス規制を容認するもので、2009年~2016年までに、自動車由来の温室効果ガスを30%削減するというもので、場所によっては、自動車が吸い込んだ空気よりも、排出される排気ガスの方がきれいになっているという、非常に厳しい規制だそうだ。

 マスキー法の時に日本の自動車の輸出が飛躍的に伸びたことを例にするまでも無く、小型ハイブリッドディーゼルの開発・量産化技術を獲得した日本のメーカが有利な状況であることにも留意しなければならないと思う。今は前年比10%を超える減産を強いられ厳しいと言われている自動車産業だが、環境技術・新技術を踏み台にして、次の飛躍を遂げるのではないかと思う。

Tuesday, January 20, 2009

オバマ新大統領の就任演説(全文)

オバマ米大統領、就任演説全文(和文) : オバマ新政権 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 ◆危機への決意◆

 市民の皆さん。私は今日、我々の前にある職務に対して厳粛な気持ちを抱き、あなた方から与えられた信頼に感謝し、我々の祖先が支払った犠牲を心に留めながら、ここに立っている。私は、ブッシュ大統領の我が国への奉仕、並びに大統領がこの政権移行期間に示した寛容さと協力に感謝する。

 これで44人の米国人が大統領就任宣誓を行った。宣誓は、繁栄の高まりのときや、平和で静かなときに行われたこともあった。しかし、しばしば、宣誓は、暗雲が垂れこめるときや荒れ狂う嵐のときに行われた。こうした時、米国は、指導者たちの技量や理念だけに頼ることなく、我々人民が祖先の理想に忠実
で、建国の文言に正直であることによって、乗り切ってきた。

 ずっとそうやってきた。この世代の米国人も同様にしなければならない。

 我々が危機の最中にいることは、現在では明白だ。我々の国家は、暴力と憎悪の広範なネットワークを相手に戦争を行っている。我々の経済は、ひどく弱体化している。一部の者の強欲と無責任の結果であるだけでなく、厳しい決断をすることなく、国家を新しい時代に適合させそこなった我々全員の失敗の結果である。家は失われ、職はなくなり、ビジネスは台無しになった。我々の健康保険制度は金がかかり過ぎる。荒廃している我々の学校はあまりにも多い。さらに、我々のエネルギーの消費のしかたが、我々の敵を強化し、我々の惑星を脅かしているという証拠が、日増しに増え続けている。

 これらは、データと統計に基づく危機の指標だ。予測は困難だが、間違いなく深刻なのは、我々の国土に広がる自信の喪失や、米国の凋落(ちょうらく)は避けがたく、次の世代はうなだれて過ごさなければならないというぬぐいがたい恐怖だ。

 今日、私はあなた方に告げる。我々が直面している試練は本物だ。試練は深刻で数多い。試練は容易に、または、短い時間で対処できるものではない。しかし、米国よ、わかってほしい。これらの試練は対処されるだろう。

 この日、我々は、恐怖ではなく希望を、紛争と不一致ではなく目標の共有を選んだため、ここに集った。この日、我々は、我々の政治をあまりにも長い間阻害してきた、ささいな不満や偽りの約束、非難や言い古された定説を終わらせることを宣言する。

 ◆国家の偉大さ◆

 我々の国はまだ若いが、聖書の言葉には、子どもじみたことをやめるときが来たとある。我々の忍耐に富んだ精神を再確認し、より良い歴史を選び、貴重な才能と、世代から世代へと引き継がれてきた尊い考えを発展させるときが来た。尊い考えというのは、すべての人は平等で、自由で、あらゆる手段により幸福を追求する機会を与えられるという、神からの約束のことである。

 我々の国の偉大さを再確認するとき、我々は、偉大さが決して与えられたものではないことに気づく。それは勝ち取らなければならないのだ。我々の旅は、近道でも安易なものでもなかった。我々の旅には、仕事より娯楽を好み、富と名声の喜びだけを望むような、臆病者のための道筋はなかった。むしろ、我々の旅は、危機に立ち向かう者、仕事をする者、創造をしようとする者のためのものだ。それらの人々は、著名な人たちというより、しばしば、無名の働く男女で、長い、でこぼこした道を繁栄と自由を目指し、我々を導いてきた人々だ。

 我々のために、彼らは、わずかな財産をまとめ、新たな生活を求めて大洋を旅した。

 我々のために、彼らは、劣悪な条件でせっせと働き、西部に移住し、むち打ちに耐えながら、硬い大地を耕した。

 我々のために、彼らは、(独立戦争の戦場)コンコードや(南北戦争の)ゲティスバーグ、(第2次大戦の)ノルマンディーや(ベトナム戦争の)ケサンのような場所で戦い、死んだ。

 しばしば、これらの男女は、我々がより良い生活を送れるように、手の皮がすりむけるまで、もがき、犠牲になり、働いた。彼らは米国を、個人の野望を合わせたものより大きく、生まれや富や党派のすべての違いを超えるほど、偉大であると考えていた。

 ◆米国を作り直そう◆

 これが今日、我々が続けている旅なのだ。米国は依然として地球上で最も繁栄し、力強い国だ。我々の労働者は今回危機が始まった時と同様、生産性は高い。我々は相変わらず創意に富み、我々が生み出す財やサービスは先週や先月、昨年と同様、必要とされている。能力も衰えていない。しかし、同じ手を用いるだけで、狭い利益にこだわり、面倒な決定を先送りする、そんな時代は確実に終わった。今日から我々は立ち上がり、ほこりを払って、米国を作り直す仕事に取りかかろう。

 なすべき仕事は至る所にある。米国経済は、大胆かつ迅速な行動を求めている。そして我々は新規の雇用創出のみならず、新たな成長の礎を整えることができる。道路や橋を造り、電線やデジタル通信網を敷き、商業を支え、我々を一つに結び付ける。科学を本来あるべき地位に戻し、医療の質を引き上げながら、そのコストは減らす。太陽、風や土壌を利用して自動車を動かし、工場を動かす。新時代の要請に合うよう学校や単科大、大学を変えていく。我々はすべてのことを成し遂げられるし、行っていく。

 我々の野望の大きさについて疑念を抱く人がいる。我々のシステムは多くの大きな計画に耐えられないと指摘する人もいる。だが、彼らは忘れている。彼らはこの国が何を成し遂げたかを忘れている。想像力が共通の目的と出合った時、必要が勇気と結びついた時、自由な男女が何を達成できるかを忘れているのだ。

 皮肉屋が理解できないのは、彼らがよって立つ地面が動いたということだ。長い間、我々を疲れさせてきた陳腐な政治議論はもはや通用しない。我々が今日問うべきなのは、政府の大小ではなく、政府が機能するか否かだ。家族が人並みの給与の仕事を見つけたり、負担できる(医療)保険や、立派な退職資金を手に入れることの助けに、政府がなるかどうかだ。答えがイエスの場合は、その施策を前進させる。ノーならば終わりとなる。公的資金を管理する者は適切に支出し、悪弊を改め、誰からも見えるように業務を行う。それによって初めて、国民と政府の間に不可欠な信頼を回復できる。

 問うべきなのは、市場の良しあしでもない。富を作り自由を広げる市場の力に比肩するものはない。だが、今回の(経済)危機は、監視がなければ、市場は統制を失い、豊かな者ばかりを優遇する国の繁栄が長続きしないことを我々に気づかせた。我々の経済の成功はいつも、単に国内総生産(GDP)の大きさだけでなく、我々の繁栄が広がる範囲や、機会を求めるすべての人に広げる能力によるものだった。慈善としてではなく、公共の利益に通じる最も確実な道としてだ。

 ◆我々の安全とは◆

 我々の共通の防衛については、安全と理想とを天秤(てんびん)にかけるという誤った選択を拒否する。我々の想像を超える危機に直面した建国の父たちは、法の支配と国民の権利を保障する憲章を起案した。憲章は、何世代もの犠牲によって拡充された。これらの理想は、今日でも世界を照らしており、我々は都合次第で手放したりはしない。今日(の就任式を)見ている他国の国民や政府ら。巨大都市から私の父が生まれた小さな村まで。米国が平和と尊厳の未来を求めるすべての国々、すべての男女と子供の友人であり、我々がもう一度、指導力を発揮していく用意があると、知ってほしい。

 前の世代は、ファシズムや共産主義と、ミサイルや戦車だけではなく、強固な同盟と強い信念を持って対峙(たいじ)したことを思い出してほしい。彼らは、我々の力だけでは我々を守れず、好きに振る舞う資格を得たのではないことも理解していた。代わりに、慎重に使うことで力が増すことを理解していた。我々の安全は、大義の正当性や模範を示す力、謙虚さ、自制心からいずるものだ。

 我々は、この遺産の番人だ。こうした原則にもう一度導かれることで、我々は、一層の努力や、国家間の一層の協力や理解が求められる新たな脅威に立ち向かうことができる。我々は、責任ある形で、イラクをイラク国民に委ね、苦労しながらもアフガニスタンに平和を築き始めるだろう。古くからの友やかつて
の敵とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化を食い止めるためたゆまず努力するだろう。

 ◆変わる世界◆

 我々は、我々の生き方について謝らないし、それを守ることを躊躇(ちゅうちょ)しない。テロを引き起こし、罪のない人を殺すことで目的の推進を図る人々よ、我々は言う。我々の精神は今、より強固であり、壊すことはできないと。あなたたちは、我々より長く生きることはできない。我々は、あなたたちを打ち破るだろう。

 我々のつぎはぎ細工の遺産は強みであって、弱みではない。我々は、キリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、それに神を信じない人による国家だ。我々は、あらゆる言語や文化で形作られ、地球上のあらゆる場所から集まっている。

 我々には、南北戦争や人種隔離の苦い経験があり、その暗い時代から出てきて、より強く、より団結するようになった。我々は信じている。古くからある憎しみはいつかなくなり、民族を隔てる線も消えると。世界が小さくなる中で、我々に共通の人間愛が現れることになると。米国が、平和な新しい時代の先駆けの役割を果たさねばならないと。

 イスラム世界よ、我々は、相互理解と尊敬に基づき、新しく進む道を模索する。紛争の種をまいたり、自分たちの社会の問題を西洋のせいにしたりする世界各地の指導者よ、国民は、あなた方が何を築けるかで判断するのであって、何を破壊するかで判断するのではないことを知るべきだ。腐敗や欺き、さらには異議を唱える人を黙らせることで、権力にしがみつく者よ、あなたたちは、歴史の誤った側にいる。握ったこぶしを開くなら、我々は手をさしのべよう。

 貧しい国の人々よ、我々は誓う。農場に作物が実り、きれいな水が流れ、飢えた体に栄養を与え、乾いた心を満たすため、ともに取り組むことを。我々と同じように比較的満たされた国々よ、我々が国境の向こう側の苦悩にもはや無関心でなく、影響を考慮せず世界の資源を消費することもないと言おう。世界は変わった。だから、我々も世界と共に変わらなければならない。

 我々の前に広がる道について考える時、今この瞬間にもはるかかなたの砂漠や遠くの山々をパトロールしている勇敢な米国人たちに、心からの感謝をもって思いをはせる。彼らは、アーリントン(国立墓地)に横たわる亡くなった英雄たちが、時代を超えてささやくように、我々に語りかけてくる。我々は彼ら

を誇りに思う。それは、彼らが我々の自由を守ってくれているからだけではなく、奉仕の精神、つまり、自分自身よりも大きい何かの中に進んで意味を見いだす意思を体現しているからだ。これこそが時代を決するこの時に、我々すべてが持たねばならない精神だ。

 ◆新しい責任の時代◆

 政府はやれること、やらなければならないことをやるが、詰まるところ、わが国がよって立つのは国民の信念と決意である。堤防が決壊した時、見知らぬ人をも助ける親切心であり、暗黒の時に友人が職を失うのを傍観するより、自らの労働時間を削る無私の心である。我々の運命を最終的に決めるのは、煙に覆われた階段を突進する消防士の勇気であり、子どもを育てる親の意思である。

 我々の挑戦は新しいものかもしれない。我々がそれに立ち向かう手段も新しいものかもしれない。しかし、我々の成功は、誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠実、愛国心といった価値観にかかっている。これらは、昔から変わらぬ真実である。これらは、歴史を通じて進歩を遂げるため静かな力となってきた。必要とされるのは、そうした真実に立ち返ることだ。

 我々に求められているのは、新しい責任の時代に入ることだ。米国人一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会をとらえることだ。困難な任務に我々のすべてを与えることこそ、心を満たし、我々の個性を示すのだ。

 これが市民の代償であり約束なのだ。これが我々の自信の源なのだ。神が、我々に定かではない運命を形作るよう命じているのだ。

 これが我々の自由と信条の意味なのだ。なぜ、あらゆる人種や信条の男女、子どもたちが、この立派なモールの至る所で祝典のため集えるのか。そして、なぜ60年足らず前に地元の食堂で食事することを許されなかったかもしれない父親を持つ男が今、最も神聖な宣誓を行うためにあなたの前に立つことができるのか。

 ◆自由を未来へ◆

 だから、我々が誰なのか、どれほど長い旅をしてきたのか、その記憶とともにこの日を祝おう。米国誕生の年、酷寒の中で、愛国者の小さな一団は、氷が覆う川の岸辺で、消えそうなたき火の傍らに身を寄せ合った。首都は見捨てられた。敵は進軍してきた。雪は血で染まった。我々の革命の結末が最も疑わしくなった時、我が国の祖は、この言葉を人々に読むよう命じた。

 「酷寒の中、希望と美徳しか生き残ることができない時、共通の脅威に気づいた町も田舎もそれに立ち向かうために進み出た、と未来の世界で語られるようにしよう」

 アメリカよ。我々自身が共通の脅威に直面している時に、我々自身の苦難の冬に、時を超えたこれらの言葉を思い出そう。希望と美徳を抱き、このいてつく流れに再び立ち向かい、どんな嵐が訪れようとも耐えよう。

 そして、我々の子孫に言い伝えられるようにしようではないか。我々が試された時、旅を終わらせることを拒み、後戻りすることも、くじけることもなかった、と。そして、地平線と、神の慈しみをしっかりと見つめ、自由という偉大な贈り物を運び、未来の世代に無事に届けた、と。

 ありがとう。神の祝福が皆さんにあらんことを。そして、神の祝福がアメリカ合衆国にあらんことを。

(2009年1月21日02時50分 読売新聞)

言葉の力

Inaugural Address of Barack Obama
....we gather because we have chosen hope over fear, unity of purpose over conflict and discord.
(今日われわれは、恐れより希望を選び、不和を超えて目的の下に団結した。)

今朝、バラク・オバーマ大統領の就任式での彼の言葉の中から、気にいったところを取り出した。政治家は言葉が命だといわれ続けていて、言葉の力を感じさせる。多様性を生かす社会では、その方向性をまとめるのは非常に難しい。国や社会がその向かうところを、国民に明確な言葉で示すことで、人々を糾合することができる。(ということは、現在は「恐れにさいなまれて希望を失っていて、不和が蔓延し、どこへ行くのか分からず、団結していない」という状態にあることを「認め」、上のような社会にしよう!と言っているのだと思う。)一見矛盾しているように思えるが、言葉の力を引き出すには、深い現状認識が必要だと思う。


悲観論を跳ね返す。アメリカから学ぶ

【どっこい合衆国】(上)危機乗り越える底力…人材が集まる風土、変化への柔軟性 (2/4ページ) - MSN産経ニュース
 「米国には危機をチャンスに変えて克服してきた歴史がある」
 
 百年に一度の金融危機というが、アメリカの大学院で組織の危機について学んでいたとき、教授が一枚の便箋に書かれた「危機」という漢字を示しながら、”Crisis is a combination of danger and opportunity"と学生に説明した。悲観論一色の日本に居ると、今の状況を、前例のない出来事として右往左往しているが、本当に百年に一度の危機なのだろうか?日本は、太平洋戦争で敗戦した時、焦土の中から立ち直った。そのときの状況に比べれば、今のほうが圧倒的に豊かで安定した金融システムと、信頼できる通貨システムを保持している。その後、朝鮮戦争後の不況、オイルショック、バブル崩壊それから、90年代半ばのITバブル崩壊など、大小さまざまな経済危機を経験している。本当に百年に一度なら、大規模な金融危機を何度も経験するはずはないのでは。まして、終戦後の混乱をたった60年やそこら前に経験したのであるから、百年に一度の経済危機は何度もやってくるのか、と疑問を持つのである。

 アメリカに目をやると、上のような厳しい世界経済の状況でも、ビジネスチャンスと考えて新しいビジネスに乗り出す人も多い。私の在米中近所の失業した元公務員の親父が、自嘲気味に「コンサルタントっていうのは、アメリカでは失業した専門職さ」と言っていたのが、思い出される。とはいえ、彼らのなかからビジネスを立ち上げ、安定した生活をしている人も多く現れた。また、そういう人たちの多くが、人生で何度目かの失業・解雇だったりするのだ。

 私は、今の日本が悲観論一色であることを、全面的に否定はしない。でも、少なからぬ企業や個人の中には、今を千載一遇のチャンスとして、自分本来のビジネスを拡充している人も居るはずだと思う。あの、トヨタの赤字決算だって、実は来期以降のV字回復を狙って今から不良資産の切り離しや、好況時に処理できなかった、様々な問題(不要な人材を含む)を一括処理しようとしているのではないかと疑っている。減損会計といっても、売却して初めて損失が計上されるのでバランスシート上は資産が目減りして信用が収縮する恐れがあるとしても、それはあくまでも紙の上での話。円高といっても、輸出の売り上げを全て日本国内に円にして戻すわけではないのだから、これも紙の上の損失にしか過ぎない。まして、来年後半以降は少しづつ立ち直ると予想するエコノミストも多いのだから、かつての日産がそうだったように、V字回復を果たす可能性が高いと思う。まして、創業家から社長を迎えたのだから、「岡崎の殿様」の旗頭のもとに糾合するといった古典的なリーダーシップを発揮するためのシナリオとして、仕組まれたV字回復を今から準備しているというのは考えすぎだろうか?

Saturday, January 17, 2009

環境マネジメントの新しい動き

 私は、今インドネシアとベトナムで省エネ関連の技術協力プロジェクトに関わっています。そのなかで、特徴的な動きがあります。それは国際化と標準化がキーワードになっていることです。たとえば企業の環境マネジメントの国際規格として、ISO14001が1996年から制定され、2004年に改訂が行われていますが、その後マネジメントシステム以外の環境分野の国際規格が次々と制定・準備されています。

一例を挙げると、
 1.環境マネジメントシステムの段階的実施(ISO14005の予定)
 2.エコデザインのためのマネジメントシステム(ISO14006の予定。規格化の作業開始段階)
 3.エコエフィシェンシー(ISO14045の予定。作業開始段階)
 4.ライフサイクルコスティング(規格番号未定 )
 5.マテリアルフローコスト会計(ISO14051の予定)
 6.温室効果ガスの排出・吸収の定量化など(ISO14064で発効済)
 7.カーボンフットプリント(規格番号未定)
 8.エネルギーマネジメントシステム(ISO50001、2010年に発効予定)
 9.砂漠化マネジメントシステム(規格番号未定)

 といったところでしょうか。

 この2年間で、急激に国際化・規格化が進んでいるのは、わが国の産業界にとってもチャンスだと思います。気候変動の議論のなかで排出権取引が行えるようになり、温暖化ガスの排出を客観的に測定する方法に意味を持つようになってきたためです。

 これまで日本は独自の方法・アプローチである意味職人的なやり方で、省エネチャンピオンになってきたのですが、これらの技術を、移転可能な形で体系化することによって、環境技術を知的な資産として輸出していくことも可能になると思います。ISOの動きは米国主導ですが、ノウハウについては日本が負けない技術を持っているのですから、マネジメント手法の導入が進めば、日本の技術を戦略商品化することも可能だと思うのです。

Webページ準備中

懸案の会社(Pionnier Research)のWebページを製作中です。
最終的に自分でメンテナンスをすることも考えながら、プロのグラフィックデザイナーの方にお願いして、HPや全体のデザインを作っていただいています。Webのデザインと共通で、名刺、封筒、ロゴなど基本デザインを作ってもらっています。2月中旬を目処に公開できるように鋭意仕事を進めています。