Thursday, March 10, 2005
キャパシティ・デベロップメントは流行のようですが…
開発コンサルタントという仕事には、人に物を教える業務が多い。最近もキャパシティ・デベロップメントというテーマで、主に人材育成について講義をしている。人材育成は人のもつ能力を主に外部からの介入によって向上させようという取組みで、多くの場合人間の持つ能力を資源として扱えるようにする。人はいくら集めてもそれ自身は人材ではない。人の持つ能力が発揮されて始めて人材として使うことができる。
Thursday, February 24, 2005
能力開発はなぜ進まない
JICA(国際協力機構)は、独立行政法人になる前は、立派なミッションステートメントがあった。それは、「人作り、国造り、心のふれあい」というものだった。今、考えてみるとこれはJICAの業務を包括したすばらしいミッションだったと思う。現在のものは、「Better Tommorrow for All」というもののようで、以前のものに比べると抽象的で、何をするのか、何を作り出すのかあまり明らかではないように感じられる。確かに明日は今日よりも良い日を「どうするのか」かかれていない。つまり「作り出すのか」「盗むのか」「拾ってくるのか」あるいは「ドナーが持ってくるのを待つのか」」この辺がきちんと整理されていないのである。
Tuesday, February 15, 2005
人材育成とトレーニング(はじめに)
一口で人材育成というけれど、こんなに困難で複雑な仕事はない。我々は、子供の時から生産的な大人になるために、毎日訓練を受けてきた。自分の両親からのしつけを受けるのも、広い意味では人材育成だ。子供の時に近所の他の子供たちと遊ぶのも、自分が所属する社会への初めての参加となる。これも広い意味では、将来生産的な大人になるための訓練の第一歩だ。幼稚園から大学までの学校の生活はもちろんのこと、通学や散歩など外にでて活動することも、広い意味では知識や経験を通して社会との関わりを深め、何か新しい能力を獲得するのに役立っている。つまり、毎日毎日が、生産的な大人としてひとり立ちするまでの学習プロセスだと考えられる。
こういう学習のプロセスを経て、子供だった我々はいつか職業人として生産的な大人になる。一人前になるまでに、気の遠くなるような長い日々を過ごす。自分のこれまで通って来た道のりを振り返って見ると、人材として一人前になるには、本当に長い日々と、費用がかかることがわかる。
開発援助の世界では、人材育成とか「キャパシティ・デベロップメント(CD)」という言葉が良く使われる。援助の仕事をしている人にとっては、決められた期間にある特定の属性を持った人たちの能力を向上させ、それを正確に評価することが普通の業務として求められている。しかし、上の例に限らず、人材育成って本当に長い期間かかるものだ。これを、限定された期間に成し遂げようとするのなら、特別のアプローチがあるのかもしれない。そういったアプローチを探すページにしたい。
こういう学習のプロセスを経て、子供だった我々はいつか職業人として生産的な大人になる。一人前になるまでに、気の遠くなるような長い日々を過ごす。自分のこれまで通って来た道のりを振り返って見ると、人材として一人前になるには、本当に長い日々と、費用がかかることがわかる。
開発援助の世界では、人材育成とか「キャパシティ・デベロップメント(CD)」という言葉が良く使われる。援助の仕事をしている人にとっては、決められた期間にある特定の属性を持った人たちの能力を向上させ、それを正確に評価することが普通の業務として求められている。しかし、上の例に限らず、人材育成って本当に長い期間かかるものだ。これを、限定された期間に成し遂げようとするのなら、特別のアプローチがあるのかもしれない。そういったアプローチを探すページにしたい。
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